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町衆に守護されてきたお堂とその周辺(その7)


金曜午後遅くから日曜まで大雨、の予報でしたので昨日は大徳寺に行きましたが到着と同時に降り始め、石仏数カ所の写真のみで戻りました。
(村雀さん! くれぐれも熱中症や疲労困憊など、しないようにしてください。取材で体調を崩されては、本旨に悖ります。安全第一に、細く長く取材してください。9月中旬以降に久し振りの原稿の方を期待しています)


大徳寺東南角近く。天道大日如来堂ですがこう派手なのは珍しい。

 

photo 047 大徳寺内の大日堂。

 

photo 048 勅使門横の「康頼地蔵」源平合戦の平康頼ゆかりの石仏といいますが鎌倉時代のようです。



 

photo 049 大徳寺境内「千体地蔵塚」。実際は地蔵石仏はあまりありません。



 

photo 050  六地蔵の一つ・大善寺の地蔵盆の六地蔵参りで頒布されるの「おはた」の説明板。




 

photo 051 大善寺は白で、六地蔵毎に色が違い、8月22,23日に6寺全部を回って集めるとご利益があるとか。前年までの「おはた」の納め所もあります。  (お札(ふだ)じゃないんですね。下の画像からは「おはた」は、「幡」「幢」という漢字がイメージされますね。 O.A)



 

photo 052  22日の地蔵盆は新聞記事もみえず、大半中止だったようですが、化粧なおしはあったようです。金攫八幡・西徳寺の石仏。 (志功が描くような色気のあるお地蔵様は、ないのかなぁ。 不謹慎なO.A)



 

photo 053 時節柄の横道話。萬福寺からの「黄檗文化研究」誌にコロナ封じのおフダが同封されておりました。純然たる観光寺院でなくとも大変なのでしょう。梵字は「ユ」弥勒菩薩でしょうか。(村雀)




 先日の「京都の地蔵盆」展で京都市内の小地蔵堂の分布図があり、上京区の京都御苑の西側が一番多いようでした。それで朝の散歩の時バスで丸太町智恵光院まで行き、30分ぐらいづつ歩きましたらすぐ4件見つかりました。どれも延命地蔵菩薩のようです。

 それぞれ個性があり興味深いものです。

 

photo 054 二条城北小 東



 

photo 055 北西院町



 

photo 056 天秤町北




 

photo 057 天秤町南 
 (それにしても、檻の中のお地蔵様は、残念ですねぇ。こういうことが、人間の事実なんですね。「罰当たり」が意味を失っているんでしょうが、もともと「仏罰」って、あるんですか? O.A)(ないでしょ。坊主)



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